総合学習としての実践批評 I.A.リチャーズからアメリア・アレナスへ

投稿日 2013年2月28日

二つの大戦のあいだの英語文学世界においてモダニスト文学を切り開いた批評家として I.A.リチャーズはT.S.エリオットとならび称された。『意味の意味』(C.K.オグデンと共著, 1923),『文芸批評の原理』(1924),『詩と科学』(1926)につづいて『実践批評』(Practical Criticism, 1929)という本がある。この本は20世紀の文芸批評の古典として広く読まれ,ここでリチャーズの世間的評価は絶頂に達した。 彼は詩人の名前を伏せたままケンブリッジ大学の学生に詩のプリントをくばり,感想を書かせた。その結果わかったことは学生たちがずいぶんいいかげんにしか詩を読みとっていないことだった。いままでの「読み方」の教育は役に立っていない。もっと別の教え方をしなくてはならない,ということで彼は文学よりも言語の教育へ足を踏み入れ,人気を失った。

一方,「文学教育」においてはリチャーズの影響のもとに,テキストを精読する「新批評」がひろがることになった。また匿名の作品を比較対照するという方法による練習の本,たとえば Denys Thompson, Reading and Discrimination(1934)とか,Louis Zukofsky, A Test of Poetry(1952)などがあらわれた。わたしは大学生のときデニス・トムソンの本を手に入れて練習問題をやってみた。意気込みにもかかわらず,つぎからつぎへと悪い文例を良いと評価するまちがいばかり,自信を失い遠ざかった。ケンブリッジやハーバードの学生もできなかったことだから,英語が外国語である早稲田の学生にできなくても当然だと居直ることもせずに,敗北感をもちつづけた。

最近,美術館でギャラリー・トークということが増えてきた。当然のことながら解説を読みに美術館へ行くのではなくて,アートをアートとして楽しみたいものである。作者や時代についての知識の多さを競争させるのではなく,「正しい」見方を教えるのでもないとしたら,先生には何ができるのだろうか?

子どもの本来の能力を妨げなければ自然にいいことが起こるという考えにもとづいて,創造することの教育はすでにいろいろあるが,鑑賞についてはじめてわたしはアメリア・アレナス(Amelia Arenas)の本と出会った: 『みる・かんがえる・はなす』木下哲夫訳,淡交社,2001年。

子どもが学ぶべき事柄を大人が教えてやるのではなくて,美術作品の前で子どもたちが放っておかれたときに,自然に学ぶことを中心とした教育モデルが作れればよい。子どもたちが本来の姿になる手伝いを大人はしてやればよい。

アメリア・アレナスの方法論はニューヨークの Museum of Modern Art の学芸員として子どもたちのグループにギャラリー・トークをするところからはじまった。それはグループであったから,ひとつの作品に対していろいろ異なった反応がある。それらを彼女はすべて受け入れ,比較しあいながら,多様な経験の有機的な統一,すなわちリチャーズが『文芸批評の原理』で描いた理想的な芸術経験にまで高めていく。リチャーズの実践批評は「孤独」な読書の作業であり,読者間相互の交流にまではいたらなかった。リチャーズの名講義は有名であったが,1対多のコミュニケーションであった。

リチャーズはハーバード大学総長ジェームズ・コナントにさそわれて,カリキュラム改革にものすごいエネルギーをかたむけ,その委員会の報告書 General Education in a Free Society(1945)が強調した「一般教養」の理想は終戦後の日本の教育制度改革に直接的に影響をあたえた。その理想はいまでは無残な結果となっているが,その理由のひとつは教育における人口問題を解決できなかったからだと,わたしはおもう。すでにリチャーズは大いなる抱負をもって一般教養科目で文学を講義しながら,多数のレポートを読まねばならない重労働に悲鳴をあげ,それらの内容にもむなしさを感じていた。

アレナスの場合はひとつの作品をまえにして,コミュニケーションは講師と聴衆という1対多ではなくて,先生の役目は子どもどうしのあいだに相互コミュニケーションの網目ができることを促進する。彼女は閉じられた yes-no questions ではなくて,答えの開かれた wh-questionsで話しかける。

「これは何でしょう? いったい何がおこっているのでしょう?」

おとなはそうはいかないが,子ともはすぐに思ったことを口にする。そうした思いつきや,もしかしたらひとりよがりな考えも,絵のなかの

「何を見てそう思ったの?」

とたずねられると,絵をもういちど見直し,自分の反応の過程を「言語化」して,他人にわかるように話さなくてはならない。そしてこういったやりとりはグループのなかで行われるので,おたがいの話をきくために自然の「行儀作法」ができてくる。

アレナスによれば,同年齢の子どもの認識力は,学業の成績とは関係なく,ほぼ同じ水準にあるから,美術の授業ではクラスの全員が同じように自分の認識力をはたらかすことができる。教師は子どもの能力を,作文とか算数で見るよりも,正確に知ることができる。映像の解釈においては,ふだんは授業に無関心な生徒が手をあげて,だれも気づかなかったような見方を示すことがあれば,クラスにおける格付けが一挙に変わり,彼も自尊心をもつようになり,それはいわゆる成績をあげることにもなる。

このような美術教育を15年間つづけてあきらかになったことはアレナスによれば,

時がたつほど子どもたちは観察力を深め,観察結果をより有効な方法で整理し,表現できるようになり,同じ状況を説明するのにもいく通りもの妥当な解釈が考えられるようになった。こうして言葉をあやつることが上手になったおかげで,子どもたちの大半は読み書きが以前よりうまくなった。つぎつぎと新しいことを考え,推測の正しさを試す作業をくり返すうちに,問題を解決する能力も高まり,理科と算数ができるようになった。また自分自身の限られた範囲をはるかに越えて,さまざまな人間の姿に触れることにより,歴史や社会を学ぶ下地も確かなものになった(『みる・かんがえる・はなす』 p. 156)。

このような総合学習的効果がわたしに思い出させるものはリチャーズの LFL(Language for Learning)の考えを使った Delmar Project だ。小学1年生に文字を教えるのに,たとえば First Steps in Reading にあるような段階づけられた文と絵を使った。その同じ生徒たちの中学校1〜3年における成績を追跡した結果わかったことは,成績優秀者の27%は LFL で習っており,コントロール・グループからは10%であった(I.A.Richards, Semantically Sequenced Way of Teaching English,山口書店,1993,pp. 359−361)。

ギャラリー・トークを成功にみちびくためには,まず作品をえらぶことがたいせつだとアレナスはいっている,つまり grading である。

…子どもたちは物語をつくりだすことに,たいへん興味を示します。たとえば抽象絵画を見せても,何かお話をつくりだします。ですから,最初は子どもたちが喋りだしやすいように,物語性のある作品を準備します。それからだんだんと不明瞭で,情報量の多いものを見せていきます(上野行一監修『まなざしの共有』淡交社,2001年,p.65)。

アレナスのギャラリー・トークの動機のひとつにモダン・アートをわかってほしいという願いがあった。たとえば彼女のビデオに『なぜ,これがアートなの?』(淡交社)というのがある。彼女は古今東西のアートをアートたらしめているものは何か,300万年以前のアウストラピテクスにまでさかのぼって論じた。リチャーズも難解といわれる現代詩が読者にとってもっと容易なものになってほしい動機から,文芸批評の原理を考えることになった。その議論に刺激されて芸術上の新しい試みを受け入れにくくしているステロ版的な反応をとりあげる批評家たちがあらわれ,そういう反応を生み出す社会や文化に対して批判的態度をやしないたいと,F.R.Leavis and Denys Thompson, Culture and Environment(1933)などがあらわれた。自分たちの詩をうけいれやすい態度を読者につくりだそうとして詩人の側から,エズラ・パウンド(1885−1972)は How to Read(1931),ABC of Reading(1934)をあらわした。ここには古今の良い詩の見本だけが集められている。その影響のもとに作られたズーコフスキーの A Test of Poetry は同じテーマについて書かれた異なった詩を並べているが,評価はしていない。

リチャーズにも似たような題名の本,How to Read a Page(1942)があるが,『実践批評』のみならず自分の書いたものはすべて,“we must find out how to let literature, etc.,affect us fundamentally.”と批評家のジョージ・スタイナーへの手紙に書いている(21 March 1967)。リチャーズはすごく具体的に基本にもどり,How to Read a Pageでは約100のキイワードをとりあげ,First Steps in Reading ではアルファベット26文字の導入を段階づけた。そういえばトルストイも小学生のための読本を作ったのでしたね。

GDM News Bulletin, No.56 (June 2004)

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