高校英語の授業は英語で行うのが基本というように, 学習指導要領が変わるそうです。 たぶんパニックになっている現場も多いでしょう。
わたしは1955年から9年間, 東京都立杉並高校で英語の授業を英語でしてきました。 自分で英語が使えないくせに, 英語についてえらそうに論じることについての反感も理由のひとつでしたが, 自分の英語は教えることをとおして, よくなったのです。
民主主義とか平等ということからいうと, 先生はそれほどえらいものではありません。 教えるということは, 圧倒的知識を上から下へ流し込むことではありません。 生徒といっしょに発見の旅をたのしみます。 と考えると
先生がすることは「説明」ではなくなります。 生徒が発見をしやすいような場を準備することです。 英語で英語について説明しなくてよいのです。 目の前に提示した状況を英語で言うだけでよいのです。 これでずいぶん気が軽くなります。 場の作り方については “English Through Pictures”から学びました。 また発信用には少数の単語を使いこなすことで, BASIC Englishのお世話になっています。
英語で説明せねばならんということが, 昔からDirect Methodの壁となっていました。このことについてわたしは”Oral Introductionの問題点”(1963)を書き, これはわたしのウエブのライブラリに近くのせるはずですが, 当時の高校2年生のリーダーをどのようなレッスンにしたを知ることができます。 もうひとつ”Question-and-Answerの問題点”(1991)もあり, これは『メディアとしてのベーシック・イングリッシュ』(京都修学社, 1996)に再録されています。
「文法」のような難しいことをわからせるにはどうしたらよいか心配するひとがいるでしょうが, 文法は英語を使いやすくするためにあるので, 文法用語をおぼえるのが目的ではありません。 文法はパターンであるという便利な考え方は今はどうなっているのでしょうね?
抽象的なことばはどう教えるのですか, という質問がかならずありますが, まずはことばについてのことば, メタ言語について意識的になることが必要です。 というわけで2003年にわたしは”English Through Picturesのメタ言語: または語彙力の強め方”を書きましたが, これもウエブのライブラリにあります。 そうそう,昔は英語のことばを英語で説明した「英英辞典」を使うことが英語学習の王道といわれていましたが, 今の電子辞書のひろがりすぎは困ったことです。
高校英語 授業は英語で
投稿日 2008年12月25日