アレクサンダーを日本に根付かせる

投稿日 2007年3月29日

『からだを解き放つアレクサンダー・テクニーク:体・心・魂が覚醒する』という谷村英司さんの本が地湧社から出ました,1800円+税。
おすすめのことばをユズルが書きましたが,谷村さんの原稿を読みながら,わたし自身の立場とアレクサンダーの理解がはっきりさせられました。ここに,その文章をのせます:
 心身の不必要な緊張に気づき, これをやめていくことを学習する方法としてアレクサンダー・テクニークは最近かなり知られてくるようになりました。 しかし谷村英司さんは, すでに15年以上もまえから, この方法を学びはじめ, 国際的な教師の資格を, ATI(アレクサンダー・テクニーク・インターナショナル)から1998年に認められ, 以来教えつづけていらしゃいます。
「からだ」のことというと, たいていの場合, すでにからだや運動神経に自信のあるひとたちが興味をもちます。 谷村さんも, 小さいころからスポーツが大好きで, 身体能力には自信があり, たまたま母上がヨガの指導をなさっていたので, それのお手伝いしていらしたということです。 しかし疑問がでてきたのは, ヨガが上達してゆくのは, もともと健康な人たちで, 精神的, 身体的に悩みを抱えている人たちには, あまり役にたっていないことがわかりました。 もともとは, そういう悩める人たちの問題解決のためだったと思い込んでいたのに, そうではないことに気づいて, 仕事に対する誇りがなくなり, やる気が沸いてこなくなったと谷村さんは書いています。
そこで谷村さんはインドへ行って瞑想したり, 古今東西のボディ・ワークやセラピーを入りいろいろ試してみました。 それらはそれなりに効果はあるのですが, 一方で知識ばかりが増えて混乱し, それらに共通するエッセンスといえるものを見つけられずに悶々とした日々がつづいていた1980年代の後半に谷村さんはアレクサンダー・テクニークに出会ったといいます。
じつはわたし自身, 問題解決のかぎは「からだ」にあると思い,からだに興味がありながら, いわゆる運動神経に劣等感をもち, スポーツ世界の競争原理を嫌い, いくつかのボディ・ワークをかじりながら, 違和感をもっていました。 「からだに自信のないひとのためのボディ・ワーク」とわたし自身のワークを名付けようかとさえ思うほどです。 だれでもからだのなかに住んでいます。 それどころか, からだがあなたです。 わたしは戦争中に学校教育をうけました。 そこでならったことは, こころとか, たましいとか, 精神とかが強ければ, 目的を完遂する意志さえあれば, 戦争は勝つ, ということでした。 こどもでしたから, そういう見えないものは, ほんとうにあるのかしらと疑いをもちながら, 聞いていました。 そしたら, やっぱり戦争に負けたではありませんか。
ところがアレクサンダー・テクニークでは, そういう目に見えないものを, 見えるようにしてくれるではありませんか! それが生理的なことであれ, 心理的なことであれ, 霊的なことであれ, すべては筋肉の緊張として翻訳される, とアレクサンダーはいいました。 それがもっとも見えやすくなるには, 頭・首・胴体の関係にフォーカスすることだというのが, F・M・アレクサンダー(Frederick Matthias Alexander, 1869-1955)の発見でした。
彼は若い俳優として有望なスタートをしましたが, やがて舞台上で声が出にくくなるようになり, 医者も原因が分からず, お手上げでした。 彼は自分でなおすことを決意し, 鏡の前に立って, セリフをしゃべる瞬間の自分自身の動きを観察しました。 ようやくわかったことは, セリフをしゃべる決定的瞬間に彼は自分自身の首の後ろを縮めていたのでした。 その緊張のために声帯が圧迫されていました。 彼は, 有名な俳優になるという目的を達成しようとして, 一生懸命になりすぎ, 緊張しすぎていたのです。 谷村さんの文章のなかで「エンドゲイニング」ということばが出てきますが, 英語で”end gaining”というのは”end”つまり目的を”gain”手に入れるということです。 アレクサンダーが目的達成を何故いましめているのかというと, わたしたちは目的に「走って」しまって, そこにいたるプロセスをおそろかにしてしまうからです。
谷村さんは, すばらしいたとえで, それを説明しています。 イスから立つという日常的な, 一見かんたんな動作がアレクサンダーのレッスンでは行われます。 わたしたちは座っている状態から, 「立つ」に至るあいだに何が起こっているのか, そのプロセスは無視されています。 しかし座っている状態を「白」とすれば, 立った状態「赤」とのあいだにはピンクの無数のグラデーションを経過しなくてはなりません。 そこに至る経過を無視することで,自分の心身のみならず, 世の中のできごとは大変にぎくしゃくしています。
世の中が住みやすくなるためには, まず自分自身が住みやすくならなくてはなりません,という考えはアレクサンダーから直接レッスンを受けたイギリスの思想家オルダス・ハクスリー(1984-1962)の著作にあらわれています。 またアメリカの哲学者ジョン・デューイ(1859-1952)も深い影響を受けましたが, レッスンを体験したことがない研究者たちからは理解されにくいのでした。 『マイ・フェア・レディ』の原作者ジョージ・バーナード・ショー(1856-1950)もレッスンのおかげで元気に長生きしました。 またニコ・ティンバーゲン(1907-88)は1973年ノーベル生理学医学賞の受賞スピーチの大半をついやしてアレクサンダー・テクニークの恩恵を称賛しました。 このように深い思想が, アレクサンダー・テクニークであつかう日常的な些細な動きにあらわれていることは, 茶道をはじめとして日本の伝統文化ではおなじみのことかもしれません。
しばしば起こることですが, わたしたちは外からの目をとおして, 自分に気がつきます。アレクサンダー・テクニークはそれをとおして, わたしたちが自分自身にもどる, もうひとつの道であるようです。 アレクサンダー・テクニークを日本に根づかせるというようなことばを, しばしば聞きます。 谷村さんの本は, それはすでに, わたしたちの老荘的文化のなかにあるといっているようです。 それに気づきなおすことの手がかりを, この本はあたえてくれます。 谷村英司さん, ありがとうございます!
2006年11月
片桐ユズル