田中さとしさんは1975年以来わたしの友人でした。特に1975-78年にかけて,いっしょにフォークソングや詩の朗読の集まりなどをしてきただけでなく,ケーキやおいしいものを神戸で食べあるきました。彼にとって詩や歌はひとと出会うことでした。1980年代はアメリカ,主としてニューヨ-クですごし,帰国してからは東京でメディア・ビジネスにたずさわったのち,ここ数年は京都へもどり,FM京都代表取締役専務をしながら,京都精華大学や造形大学で若いひとたちに講義することをたのしんでいましたが,1月10日朝,心臓が止まっていたのでした。彼も編集者として名前を連ねている『ほんやら洞の詩人たち』(晶文社,1979年)から発掘した詩を,ここに題名を変えて紹介します:
若き日のさとしの肖像
愛しているよって
いわれたから
愛しているわって
こたえた。
愛しているということが どういうことかわからなかった私は
ただ 愛している ということだとおもった
愛しているということが どういうことかわからなかった私は
朝 遅くまで 寝ていた
愛しているよって
いわれたから
愛しているわってこ
こたえた
愛しているわって
いったら
愛しているよって
こたえた
愛しているということが どういうことかわからなかった私は
勉強することをやめた
コーヒーをつくることをやめ
食事をつくることをやめた
せんたくをすることをやめた
そうじをすることをやめた
そして
男と女は 平等だと言いはじめた
ついには 家の中は
せんたくものの山
ごみだらけ
外食ばかりでお金がなくなった
それでも女は
朝遅くまで寝ていた
そして
愛しているわって
いったら
愛しているよって こたえた男の顔は
ゆがんでいた
ーー 林みどり
田中さとしさんが亡くなりました
投稿日 2008年1月16日