シンボルはめだたなくてはならない,とすると・・・?

投稿日 2013年2月28日

「こんど『思想の科学』4月号で<ゆたかな生活語を求めて>というような特集をすることになりました。つきましては《やさしく思想を語る》というようなテーマで,さいきんユズルさんたちがやっていらっしゃる詩の朗読会等の意味をからめてかいていただきたいとおもいます」

「じつは京都のほんやら洞などでの朗読会は若いひとたちがすしづめの盛況で,満員御礼,札止めにしなければならないこともしばしばあるのですが,このあいだ秋山基夫,有馬敲といっしょに東京へ朗読のキャラバンにきてみて,東京のひとたちは詩をなにか鑑賞するものみたいに高いところにたてまつって,自分はちいさくなってきいているみたいだけど,関西のひとたちは落語をきくのと同じように気やすくきいてくれるので,たすかります。これはもしかしたら関西フォークソングの第二波なのかもしれないね」

「いつもユズルさんから資料おくっていただいて,おもしろそうだから行ってみたいとおもいながらも,こちらは東京ですからね」

「ええ,それで,こんど,そういう遠くで朗読会へ来られないひとたちのために,朗読会の代用品として,レコードをつくりましたから『思想の科学』でも宣伝してくださいよ。URCレコードから実況録音盤《ほんやら洞の詩人たち》というので,レコード番号URL-1041で定価1900円です。レコード店になかったら,たのめばとってくれるはずです」

「《関西フォークの歴史》というのも出たそうですね」

「はい,第一集(URL-1039〜40)が12月に,第二集が2月に出て,どちらも2枚組で3300円です。なかなか珍しいひとや,珍しい歌や,珍しい録音などが多くて,とても好評なんです。それで,その付録に,こんどは字でかいた歴史を,これはユズルさんの大力作なんですが,第一集と第二集を買ったひとにはただでさしあげますということで,年表なんかも古川豪の莫大な資料をもとに,ユズルさんが偏見をもって編集したりして,がんばったので,へとへとにつかれてしまいました。

《やさしく思想を語る》ということでいえば,関西フォークソング運動のはじまったころは,まさに,みんな,ふつうのひとが,ふだんのことばで,自分の実感から,戦争はいやだとか,自分の声をあげはじめていたんだとおもう。あのころ集会では,むつかしいことをしゃべったら,わらわれた。ところがいまでは,やさしいことばでしゃべったら,だれもきいてくれない」

「高田渡なんかはNHKのいいかえ辞典を愛用していたそうではないですか。歌のことばは耳からはいることばだから,耳からはいっても誤解がないようにと」

「そういうふうに神経がゆきとどくのはいいことだとわたしはおもいますよ,だけど,日本語には同音異義語が多いから耳ではだめで紙の上のコミュニケーションにたよるとか,すぐ,そういうふうに短絡するでしょう。だけど,それは,ことばについてごく初歩的なこと,ことばは前後関係のなかでつかわれてはじめて意味をもつ,ということを無視しているので,ただひとこと《ハシ》といったら橋か箸か,アクセントだって関東と関西でちがったりして,わからないとおもうけど,《ハシをわたる》といえば,わたるということばがうしろにくっつけば,まえにいわれたハシは,ごはんをたべるハシだとは,だれもおもわないはずだ。

こういう例は,てきとうにちいさくて,まとまりがよいから,シンボルになりやすい。たとえば庭先でスズメがひとつ死んでころがっているほうが,どこかの国で何百人の人が死んでいくことよりもショッキングだったりする。

おなじような例で,丸谷才一が,文学はことばでつくる,そしていまの日本語は暗タンたる状態にある,といった。そして彼は,それは漢字制限と新かなづかいのせいだといっている。たしかに暗タンたる状態にあることは,そのとおりだけど,それはもっと大きな社会的環境破壊の一部で,たとえばテレビとかテスト教育とか管理的体制とか民生ファシズムとか金もうけ主義とか,そういったものが日本人の言語意識をだめにしているのであって,だけど,表記法の問題はてきとうに小さく,しかも目立つので,文芸批評家がこのんであつかうのに手ごろなのだ。

丸谷は文学はことばでつくる,といいながら,そのことばというのは,まるで,紙の上にかいたものだけがことばであるような錯覚をもっているらしい。ところが耳と目とことばの関係について自分の経験をふりかえってみると,たとえば,さいきん,自分のうちの電話番号を英語でとっさに言えなくてこまった。これはどうやらニイニイニイノ・イチゴーナナヨンとか,ナナレーイチノ・ナナゴーレーキューとかいう音で耳のおくにしまってあるらしい。これをいちど手のひらに,222-1574とか701-7509とか指でかきなおして,その数字を,あらためて,英語でいいなおさなければならないのだった。

耳は,とても大づかみに意味をとることがうまいようだ。いつかべ平連でよんだ北米人の通訳をしていたとき,彼がごしんせつに原稿をみせてくれたら,そこにはむつかしい単語がいーっぱいならんでいて,それらに足をとられて,それまでてきとうに大意をとれていたのが,ぜんぜんあかんくなった。もうひとつはケネス・レクスロスやゲーリー・スナイダーの講演を通訳していて,そのときは冷汗だくだくでやっているので,あとになって紙の上に正確に訳そうとテープをききくらべてみると,たいして穴はあいていないのでびっくりした。

それ以来,耳の力を信じるようになった。マクルーハンによれば,目はすごくこまかい読みとりをする,のに対して,耳のダイナミックな特色を強調している。

もうひとつおもしろい経験は《フォークリポートわいせつ裁判》で,検事の朗読ほど,わたしにとって,あの小説の情景をいきいきとイメージさせてくれたものはない。問題の中川五郎のフォーク小説《ふたりのラブジュース》は,『フォークリポート』1970年冬の号に出たとき以来,何度も読んだし,また,わいせつ裁判のティーチ・インなどでは,何度も朗読してひとにきかせたこともあったけれども,そういうときには字が,わたしと,イメージとのあいだに割りこんでいて,情景がよく見えなかった。ということが,検事の朗読のときには,字が,あいだに立ちはだからなかったので,情景がよく見えた,ということがわかった」

「そういうユズルさんのはなしを,そのまま字にすると《ごろうぼうちん》フォークリポートわいせつ裁判調査報告書,中川五郎冒頭陳述みたいになりそうですね」

「ということは,視覚的にきわだつものが何もない,ということなのだ。それは,たよりなさそうな感じとか,確固たる思想に立脚していないみたいな感じとか,つかみどころがなさそうな感じをあたえるかもしれない。だから《ごろうぼうちん》は,ふだんのことばで,とても高い思想をいいあらわしているけれども,それに気がつくひとがあまりいない。不幸なことだ。これがわれわれの側の弱みかな?

やさしいことばで思想をかたるばあいの,もろもろの弱点,これらをあるがままにみとめたうえで,それでも,やっぱり,ふだんのことばでものをかんがえるくせを育てたい」

「そこまでユズルさんをして,やさしいことばにこだわらせるものは何なのでしょう?」

「それは,ファシズムというものは,防空壕のなかでヒトラーのまわりに,うれしそうな顔をしてあつまってきた《すべてのナチを犯罪者でサデストとみなしつづけたところで,革命はあらわれない。われわれが問題にしなければならないことは,彼らの主観的な高揚と,どんな客観的問題もとけないという彼らの無能とのあいだの,コントラストをうきぼりにすることだ》というウィルヘルム・ライヒのことばでいえば,まず自分のまわりの客観的問題をとく能力をひとりひとりがもつということがたいせつで,それはやっぱり日常の問題やし,それなら,ふだんのことばをつかってでなくては,とけないもんとちがうか?」

「やさしいことばで思想を語るばあい,どういう問題点があるとおもいますか?」

「ひとつは,意味論の本をよんでいると,シンボルはきわだたなくてはシンボルになりえない,とかいてある,だけど,ふだんのことばは手あかにまみれ,きわだちにくい」

「でも芸術のながれというものは,だんだん,めだつものから,めだたないものへとながれてきたのではないですか。英雄王侯が主人公だったのが,市井の平凡人をとりあげるようになってくるとか,ロマンティックなはげしい事件をえがくかわりに日常的な印象派や,リンゴや静物のキュービズムといったふうに,スポットライトのあたりかたが変わってきたのではないですか?」

「むやみと片カナ英語やヨーロッパ語で,あたらしがりの名まえをつけたり,むつかしい漢語をつかったりするのも,めだたせたいからだろう」

「だけど歌は,きわだちにくい日常のことばを,きわだたせることができるではありませんか? リズムと,あがりさがりの強調によって」

「ということは,われわれは,じつは,実演という場においてこそ,つよみを発揮するのではないだろうか?

紙の上だけで,やさしいことばの思想を発展させようとしてもあかん。やさしいことばの思想は,やっぱり,じっさいにはなすということがはじまりで,じっさいのはなしにおいては,アクセントやイントネーションがあるから,紙の上できわだたないことばも,音の上できわだちうる。また,話し手の身ぶりや表情とことばが一体だからね。

しかし,そういう場は,マス・コミュニケーションではあかんやろね。たとえば現状においてはテレビのスクリーンでは,こみいった議論はとてもできない。やさしいことばで,しかも常識から一歩でも外へふみ出したような認識をつたえることができるような話しあいの場というのは,それほど大きな場ではありえない。自覚的に思想をかたる練習のためには,まず,そのような,パーソナル・コミュニケーションの場が確保されなくてはならない」

「詩の朗読会はその一例ですか?」

「まあ,そうもいえるかもしれない。詩の朗読会なんかをやってると,たとえば有馬敲が,ハァー,トートートートー,といってニワトリを小屋へおいこんだときの話をしたりすると,そういう土着の伝統をもったひとをとてもうらやましくおもう。わたしなどは東京語を自由にしゃべるという点で,地方へくると,文化的優位に立っているという錯覚をもたれてしまうけど,東京語が自由にあやつれるようなひとたちは,たいてい,土着の伝統から疎外されている根無草なのだ。そのため詩の材料がとても貧弱だとおもう。一方,ゆたかな伝統の中にいるひとは,東京語という一種の外国語で詩をかかなくてはならない,というまちがった観念をうえこまれているから,みずからのゆたかさを表現しきれないでいる。という,どちらにとっても,まことに悲しい状況にある,ということが,朗読会のおりに話題になったりすることが多い。

 このあいだ,ほんやら洞では中江俊夫に来てもらったけど,彼は子どものとき以来,すごく学校をかわってばかりいたんだな。すると,ことばがちがうというので,友だちからいじめられる」

「逆に,先生からは,標準語がうまいと,ほめられたりして」

「ついに,自分のことばというのをもたないわけだ。そのかわり,共通語をきちんと使う,というところにたてこもって防衛するわけだ。そういう意味でも,彼の詩は,感情移入の具象派ではなくて,抽象詩なんだな」

「ほとんどの,いわゆる現代詩は《抽象詩》なのではないですか?」

「具象派であるためには,自分のことばをはずかしがってはいられない」

「片桐さん,秋山さん,有馬さんなどの《オーラル派》のひとたちは例外として,一般に詩人は,朗読ということは,はずかしがるのではないですか?」

「詩の朗読ということはNHKのアナウンサーや新劇の俳優たちが読むみたいにやるものだ,と一般的におもわれているらしい。すると,大多数のひとは,発音も,発声も,そういうふうにできないので,わたしはだめです,とおもってしまうんだろうね。

自分のことばをはずかしがる──というのは,さくしゅされる第一歩だ。支配者は,まず,さくしゅしようとすれば,ことばをうばい,表現手段をうばう。たとえば沖縄の学校では,《標準語》をつかわないと,首からカンバンをぶらさげさせられた。沖縄はたしかに《本土》によって,さくしゅされた。それから農民は,自分たちのことばが下品ではずかしいものだ,とおもいこまされてきたのと並行して,ずーっと,さくしゅされつづけてきた。文明開化路線は盆踊りさえ「風俗を紊すという理由」によって,明治・大正時代に,きびしく取り締まった,と『民俗学辞典』に出ている。このようにして,われわれの,ふだんのことばも文化もはずべきものとされ,日常的ということは,いまだに,味方であるべきひとたちからも,さげすまれている」

「しかし関西弁についてはいささか事情がことなるのではないですか?」

「そう。関西のことばは,東北や九州のことばほどバカにされなかった。都市の文化や商人たちの勢力のせいか,東京語に対抗してわりかしがんばっていたね。それが,関西フォークソングの出る素地になったのかもしれないね。というのは,ボブ・デランが英語だから,あそこまでやれた,というのと似たような関係があるとおもうよ。つまり,ドイツのリート,フランスのシャンソン,イタリアの歌曲というような音楽の先進国においては,ことばと曲がわかちがたくむすびついた状態に達していたのに反して,音楽の後進国である英語諸国では,ことばと音楽とのあいだの関係がまだルーズで,そこにデランのような革命的な方法のつけこむ余地があった。それと同じく,東京語と,西洋的日本音楽のあいだも,輸入後百年ちかくもたてば,かなり安定した関係に落ちついていただろう。しかし,関西語と音楽との関係は,まだ,流動的であった。それで,しろうとが,いろいろ好き勝手なこともできたし,一音符一字主義も知らずして打ちやぶってしまっていた」

「さいしょにちょっと出ましたけれど,たとえばフォークソングは,やさしいことばの思想に対して場を用意したのではなかったですか?」

「そう。特にはじめのころはね。だけど長つづきしなかった。とにかく,高石友也がではじめたころは,たとえば,新森小路のバプテスト教会での反戦集会なんかで,彼はよくうたったけど,こんな歌をきいてみなさんもいっしょにかんがえてください,といって,また歌いおわると,そこにいたひとたちが,われがちに争うみたいに,わたしはこうおもうとか,ぼくはこうかんがえるとか,次から次へと,しゃべったものだ。じつにびっくりしてしまったな,もう。あたらしい時代がきた,という感じだった。それとも,あれは,バプテスト教会では,信仰告白みたいな,ああいうコミュニケーションの伝統があるのかな?

岡林にしたって,歌うよりは,話の方がながかったんじゃないかな? 説教のあいまに歌がはいって,それでしめくくりながら行く,というスタイルだった」

「そういうフォークソングの場が,なぜ,長つづきしなかったのですか?」

「ひとつは新宿西口フォークゲリラが弾圧されたり,彼らのプロテスト・ソングはほとんどすべて民法連要注意歌謡曲に指定されて電波からしめだされきこえなくなったこと。

 もうひとつは,はじめはアメリカがわるいとか,ジョンソンがわるいとかいっていればすんだけど,だんだん自分自身が侵略に加担していることがわかると,それ以上つっこんだ話をするのがしんどくなってきた。はじめは『神が味方』や『戦争の親玉』のボブ・デランのように,おれはまだ若くて頭もよくないが,それでもひとつだけたしかに悪いとわかること,それはひとを殺すことだ──どんなに,あんたがたえらいさんが,りくつをこねまわしたっても。しかし,いつまでも,こういう実感主義ではいかなくなり,もっと勉強しなければならなくなった」

「というわけで,それが,やさしいことばの思想の世界,ということですか?」

「限界があるとしても,こんなせまいところにあるとはおもわない。すでに関西フォーク運動においても,やさしいことばでかたられても,それが常識よりちょっと踏み出したようなことがらには拒否反応があったのではないか? それから,みんなが拍手していたのは,あまりにもあたりまえの内容を,むつかしそうなことばでしゃべった人にではなかっただろうか?

それから関西フォークの第一の波は,フォークゲリラと,高石&岡林が激論をたたかわしたところでおわると,わたしは歴史をかきながらおもったが・・・」

「それはいつのことですか?」

「1969年夏,いわゆる反博のときだよ。この内ゲバは,それまでやさしいことばの思想できたフォークゲリラが,すごいむつかしいことばをつかうようになって,自分たちが反対していたはずの口先人間ペースにはまりこんでしまったということだ」

「口先人間というのは,だれのことですか?」

「口先人間というのは,なかみと関係なしに,ことばだけをうまくあやつることができるひとのことで,こういうひとは今の管理的世の中ではうまく出世して,他人を管理する立場につくようになるだろうね。学校の成績もいいだろうし,戦争だって何だって,うまい理由くっつけて正当化できちゃう。

けっきょく問題は,外山滋比古のいう《アルファ読み》と《ベータ読み》の問題で・・・」

「いったい何ですか,アルファ,ベータというのは?」

「『展望』の1975年2月号に出ているから,そっちを読んでほしいけど,アルファ読みをしても新しい情報は入ってこないような読み方だ,たとえばスポーツ新聞に出てることは,すでにゆうべのテレビで見て知ってることだ。ベータ読みは,そこではじめて新しい情報を得るような読み方だ。活字文化というものは本来はベータ読みのはずだ。

ところで,はなしという行為のなかには,あいさつとか感情表現とかの要素がとても多くて,そこへ情報とか論理ということをもちこむことは絶対に必要なことなのだが,それはとてもむつかしいことのように,とくにさいきん世の中がますますわるくなったせいか,そうおもえてくるのです」

(『思想の科学』1975年4月号)