ことばでなく,モノを──ギンズバーグの死に

投稿日 2013年2月28日

ギンズバーグに会ったことは三回ある。初回は一九六六年八月五日ニューヨークで,ベトナム反戦デモの前日であった。「わたしは年をとりカンザスでさびしい」といった彼は四〇歳であった。「いや,さびしいのはわたしだけではない,ジエムも毛沢東もジョンソンも愛をもとめている…… しかし,何人がわたしのように声をあげて泣くか? ──これが詩人のつとめだ」と一九六三年十月二十八日サンフランシスコでのベトナム反戦デモでインタビューに答えている。デモのような場合には,する方も,される方(警官,見物人)にも,恐怖がある。その恐怖が暴力の引金をひく。だから恐怖をなくし,愛で満ちるようにもっていくのがよいのだ。そのひとつにマントラを唱えることがある。このころ彼はこの念仏仏教を実行していた。(このときのことは,「ウィチタ渦巻き経」の訳とともに『現代詩手帳』一九六八年一月号に出ている。)

二回目は一九七一年五月一日ごろ,カリフォルニア州シエラ・ネバダの山奥にゲーリー・スナイダーを訪ねたときであった。このときのことは谷川俊太郎さんがどこかに書いたのではなかったか? 毎日午前中アレンはしずかに手紙を読み,地方新聞に目をとおし,広告チラシを整理し,ていねいに切り抜きをした。この情報収集活動にわたしがびっくりしていると,若いとき広告業界ではたらいていたことが役に立っている,と彼はいった。ビートたちに世間の注意をあつめたのも彼が広告のノウハウを駆使したのだ,と彼はいった。三回目は一九八八年十一月二・三日に京都で講演と朗読をしたときであった。わたしが研究室で本の整理をしていると彼がはいってきて,握手をして,抱いてくれた。そして本棚に彼の本が並んでいるの見ると,彼はかたっぱしから署名しはじめた。それから「あなたは大学で何をおしえているのか?」というような話になって「わたしは外国語としての英語と,一般意味論だ」といった。

「コージブスキーの一般意味論なら,ウィリアム・バロウズはシカゴで彼について勉強していた」 そしてバロウズがギンズバーグとケロワックに徹底的にたたきこんだのは一般意味論だったのだ。ことばと,それが指し示すモノを切りはなして考えろということだった。この話はその直後のレクチャーでさっそく登場した。「『マイクロフォン』ということばは,このマイクそのものではない」といって彼は目の前のマイクを指さした。若き日のギンズバーグたちが「芸術」についてはげしく議論していると,バロウズに笑われた。彼によれば,A−R−Tという三文字そのものには何の意味もくっついてはいない。その語について,あらかじめ決められた意味は何もない。その三文字はあながが使いたいように,どのようにも使うことができるのだ。

あるいは記号は月をさしている指のようなものだ。指それ自体に意味があるのではない。「ほら,あっち」といって,イヌの注意をあっちに向けようとしても,イヌは指のにおいをかいだり,なめたり,シッポをふったりしている。それと同様に,ことばが指し示していることよりも,ことばそれ自体を味わうのが詩だとおもっているひとたちには,ギンズバーグたちの詩は評判がわるかった。ギンズバーグたちの詩は,心的状態をすけすけに見せてくれる透明度の高いガラスのようなものだ。一方,ステンドガラスはそれ自体は美しいかもしれないが,あちら側を透けて見るためのものではない。

内部世界と外部世界のあいだにある言語のスクリーンを消しさるために,薬物を含む,種々の実験をした。彼らの先輩にはアルチュール・ランボーがいた。彼は「現代詩人としては最初に詩を幻視的探索の方法としてかんがえたひとです。 ……彼はまたハシーシュを吸い,感覚を混乱させる実験をしました。感覚の混交は,知覚のテクスチャーをしらべるため,あるいは意識それ自体のテクスチャーをしらべるためでした。ですから,わたしたちのグループで詩は精神意識を探索する方法であり,一種の精神拡大の研究でした」とギンズバーグは精華大学での講演で語った。彼らはペヨテ・サボテンのサラダをたべたり,ケロワックは一九五一年ごろから仏典をよみはじめた。メキシコ・シティからケロワックはギンズバーグに詩をおくりつづけた。毎朝おきるごとに,マリワナを一服し,コーヒーを一杯のむと,その朝さいしょに頭に浮かんだことをノートに一ページづつ,200日ぐらいつづけて,のちに『メキシコ・シティ・ブルース』と呼ばれた。それらはまったくの自然発生的,即興的,まったくのフリーフォーム,のちにチョギャム・トルンパが,これは精神の偉大なあらわれだといって,ほめた。その即興性はジャズとの親近でもあった。

「ことばをさがして立ちどまるな,そのかわりに絵をはっきりさせよう」がスローガンであった。これは当然のことながら「ことばでなくて,モノを」といったウィリアム・カーロス・ウィリアムズをおもいださせる。彼は文学用語をつかわずに,日常のはなしことばをつかって詩をつくろうとした。さらにさかのぼればウォルト・ホイットマンの伝統ということになる。しばしばいわれることだが,ギンズブアーグの「吠える」はホイットマンのアメリカン・ドリームのネガの世界である。ギンズバーグたちの若き日に,西洋的思考のたどりついたところが核兵器と冷戦であった。真実を見えなくするための言語のスクリーンは複雑巧妙に発達したものだった。「絵をはっきりさせよう」ということはイマジズムをもおもいださせる。「われわれは絵画の流派だはないが,われわれの信念として,詩は具体を正確にあらわすべきで,どんなに雄大でひびきがよくても漠然たる一般論をするべきものではない」 とエズラ・パウンドたちは一九一五年に宣言した。そのパウンドはアメリカ国家に対する反逆罪ということで,ギンズバーグたちの若き日には,精神病院に監禁されていた。のちにギンズバーグはパウンドに会いに行った。

「絵とか感覚をとおして意味がはっきりするまでは,ことばの使用をひかえたほうがよい」といったのはジョージ・オーウェルであった。ことばをきちんとしないから,考えがはっきりせず,政治や社会が混乱すると,彼は「政治と英語」で憂いている。

「ことばでいえないとしたら,見えるようにすることだ」といったのはヴィトゲンシュタインであった。彼は第一次大戦直後オーストリアの山村で,もっとも貧しい食事をし,もっとも安物の服を着て,小学校の教員をしていた。

このように並べてくると,とても硬派っぽい。たしかにヴィトゲンシュタインは「難解」といわれ,ことばが現実ではないことをなっとくさせようとコージブスキーは『科学と正気』という数百ページの大冊を書いた。西洋的論理をつかって,西洋的論理の世界から出ようとするのだから,彼らはガチガチに論理的にかんがえなくてはならなかった。そしてバロウズの考えもなかなかガチガチのようであった。わたしはバロウズの本はめんどくさそうだから読まなかったが,映画を見た。『ドラッグストア・カウボーイ』はドラッグのおそろしさをおしえる教育映画としてなかなかのものであった。最後にバロウズ自身が出てきて,ドラッグをはやらせているのはCIAの陰謀である,と語った。

『ドラッグなしで,そこに達する方法』という題の一般意味論の解説書があるが,逆にいえばドラッグは安直に「言語のスクリーン」を瞬間的に引き裂くことがあるのだろう。ただしスクリーンが消えてしまっても大丈夫な準備ができていないと,たいへんなことになる。仏教にのれば,ガチガチに考えなくても,スクリーンを消滅させることことが,そもそも仏教の目的だったともいえる。

現代文明によって汚染され,混濁し,混乱している,わたしたち自身の感覚を掃除し,クリーンにして,ものごとをあるがままに見たい。それをしないと人類の生存にかかわる,というの生物学的な意志がビートやヒッピーを動かしてきた,とギンズバーグは精華大学での講演で語った。まさに幻視家ウィリア・ブレークをオルダス・ハクスリーがメスカリン体験の描写に引用してひろまったことばだが「知覚の戸口が清められてあれば,あらゆるものはあるがままに,すなわち永遠としてあらわれる」ということだ。

「ことばでなく,モノを──ギンズバーグの死に」現代詩手帖1997年12月号(思潮社)

コメントは受け付けていません。