Oral Introduction の問題点

投稿日 2013年2月28日

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このごろ英語でもようやく reading のあるべきすがたとして「速読」ということがさわがれるようになったのはいいことだ。この現象はひとつは,漢文(Chinese classics)とならんで Anglo classics であった英語でなくて,コミュニケーションの手段として外国語としての英語にめざめてきたことでもある。速読についていろいろな文章がかかれているが一致していることは,速読の段階のまえに,基礎的な英語の学力が必要なことであり,このあいだの橋わたしをどうしたらいいかについては,あまり書かれていないようだ。

すなわち英語の入門期のおしえ方については,口と耳を中心とするようなことで,だいぶよくなってきたし,上級では速読というようなことがいわれるが,そのあいだがつながらない。ひとつには中級用の良い教材がないことで,また大きく見れば大学入試が頭にきてるからであり,how to teach という点からいえば,”Oral Introduction” の亡霊がただよっている。

大学入試についていまさら深入りはしないが,大ざっぱにいえば,後期中等教育とはなにをするところなのか,てんでわかっていないから,困ったことになる。大学内部の問題としては,「英語工学へのノート」でふれた。

これらの雑音を無視して,理想にもえるまじめな英語教師がいたとして,その彼のまえに “Oral Introduction” というおばけがたちふさがっている。

というのは研究社の『英語教育事典』には日本における英語教育の歴史をかいたようなページがあるが,ハロルド・E・パーマの教授法のところでおわっている。現在,大学の教職課程で英語教授法といったような時間になんとなくスタンダードな teaching procedure として印象をかすめるのが,このパーマのやり方だろうとおもう。

ちょうど,もうひとつの『英語教授法事典』(開拓社, 1965),pp. 129-134 には高校1,2年を対象にしたテキストと,それのおしえ方が出ているので,くわしくはそれをみてほしいが,つぎのような procedure である。

  1. Oral Introduction
  2. Question-Answer
  3. Reading
  4. Composition Exercise

説明によれば(p. 129)

「さて,上の教材を教えるのに,まず最初は生徒に教科書を全然見せない……その代わり教師は,次の Explanatory Introduction を生徒に読んできかせる。理想的にいえば,『読んで聞かせる』というよりは,教師がそれをあらかじめ読んでおいて,教室ではこれを時々のぞく程度にとどめ,むしろ多少の gesture を加えて,これを『話してやる』という態度が望ましい。

ここで12行の原文 “The Bullet-Proof Jacket” という the Duke of Wellington の機知の話に対して,えんえん75行の Oral Introduction to the Story があり

「これと text とを比較すればよくわかるように,この introduction は reading text をかみくだいてなるべくやさしい英語に書きなおしたものであって,いわば,難解な text はどういうふうに simplify すればよいかという要領を示したものである。……

「つぎに,Oral introduction が一通りすむと,生徒はおぼろげながら text の内容がわかる筈であるから,今度はその内容を基にして教師と生徒とが英語で問答する。……

「Oral introduction でぼんやりしていた部分は,question-answer によってかなり明瞭になったはずであるから,この辺で教科書を聞かせる。…… ここで教師は text を生徒によませ,なお自ら範読を示す。……

「次に生徒に text のある部分を訳させてみたり,文法上のこともきいてみる。そうしてみると,oral work によって生徒はどの程度に理解したか……わかる。そこでその不十分な点を日本語で徹底的に説明して聞かせる。こうして text の意味がはっきりして初めて,日本語でどう表現するかという翻訳の練習も真に生きてくる。

「最後にやる Composition Exercise についてはこれは時間があれば教室でやらせるし,それも oral でやることもできれば,書かしてもよい。また時間が無ければ宿題としてもよい。」

パーマというのは,問題はあったにしても,えらいひとだったから,かれの考えを批判的に発掘しなおすことが必要だろう。たとえば彼は手でかく字はスクリプト体をおしえた方がよい(『英語教授法辞典』,p. 139)といっているが,このことはわすれられている。また彼は “Reader System” と称して「教科書は,太陽系のように,読本を中心とする補助教材群からできていなければならない」とかんがえた。そして教科書には精読用と多読用の2種のものがいる,といっている(『英語教授法辞典』,pp. 127-128)。

しかし日本での傾向として,なんでもひとつでまにあわそうとする。字引も一生つかえて単語が多くてポケットにもはいるような欲ばったものがうれる。リーダーには,下欄には発音が出ていて,巻末には新しい単語や句などの意味や文法的説明があって,トラの巻や字引も買わなくてすむようにできている。こういう親切ごっこよりは,教科書会社は,正読本を中心にした副読本群を責任をもって提供するべきだ。

ところでパーマは精読用教科書と多読用教科書というたいへんにいい線を出しながら,そのリーダーの授業において,単語や文型のつかい方をおしえるのか(production),それとも,おはなしのなかみをつたえるのか(recognition)特に区別しないままで,”Oral Introduction” は「要するに,むずかしい英語をやさしい英語に直すという一種の技術」ということになった(『英語教授法辞典』,p. 131)。

速読なら,これほど,Explanatory Introduction をねんいりにやる必要はない。

精読なら,そして精「読」ということが何をいみするのか問題だが,「よみとる」ことの練習なら──つまり字を媒介として内容をとることの練習なら,これは aural-oral だから,それではない。これは,むしろ,現在いわゆる “controled conversation” にちかいが,あれは「読み」の練習ではない。

「読」本というからいけないので,主な教科書といういみでかんがえて,このレッスンにでてくる単語や文型をつかえるようにする,ということなら,おはなしの retelling としての Oral Introduction は,いみがないことになる。

むかしのエリート教育時代の中学校のことだから,recognition がバケツからあふれ出るようにして production に転じうる秀才たちだけを相手にしたならそれでよかったかもしれないが,教師はつらいだろう。

「教師は発音や抑揚に特別の注意がほしい。いうまでもなく正しい良い英語を聞かせればやがてそういう英語を生徒がまねるようになるからである。訳読授業と異なり英語を聞く分量が多い上に生徒もわりあいに緊張して聞くから,もし教師の英語に不自然な抑揚や誤った発音が目立つようなことがあれば,間もなくこれが生徒に反映してついになおすのに困難を感ずるようになるおそれがある。」

これでは,よほど自信がないとできない。

波多野完治のようなえらいひとでもストレート・トークは15分が限度だといっている。それを外国語で何分かのリサイタルをしなくてはならず,しかも生徒はわかったのか,わからないような顔をしたり,あくびをしたり,落書きをしている。すてきな英語をきかしたとしても,むなしいね,まったく。

できるだけ自分自身はすくなくしゃべり,生徒にたくさんしゃべらすのがいい教師である。それから生徒の緊張の持続の限度とか,たえず彼らを活動させておくことをかんがえたら,極端にいえば,one sentence ごとに彼らにこっちのいったことを repeat させたり,あるいは question-answer ではなしをすすめるようにするのがいいとおもう。

先生のしゃべるのも one sentence ずつのように,小さい単位だと,発音・抑揚みたいな点でも,演説よりは気がらくだろう。

このように,”Oral Introduction” も,小さな単位に切ってしまえば,教師はらくちんに,生徒はいねむりのひまがない,というふうにあつかいやすくなる。

それでは,そのような,ばらした Oral Introduction のなかみになにをしゃべるかというと,「読」本ではなくて,そこにでてくる単語や文型をつかえるようにする,そういう「主な教科書」的におしえるとすれば,そういう teaching points をあらかじめ抜き出しておいて,本文にはいるまえに,じっさいの situation でやってみせ drill するとか,pattern practice しておくことを oral introduction と呼びたければ呼んでもいい。

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実例をあげると,The New Beacon English Readers, Revised Edition, Book II, Lesson 3, “Deep into the Sea” のはじめのところをとれば

Often I have been asked whether the impression in the bathyscaphe is the same as in an elevator. Each time I reply in the negative. In an elevator, motion is felt. In the bathyscaphe’s sphere, only the control instruments and the view of the outside world enable one to know whether one is ascending or descending.

I generally keep the machine’s speed of descent at about four to six feet per second, a comfortable rate for observing the animals closely. At this speed the slightest sensation of motion is not felt by the passenger.

During the first 650 to 1,000 feet of the descent the gradual fading of sunlight still permits one to realize that one is in the liquid mass. But lower down the impression changes. Here reigns eternal night–deep, absolute darkness unknown at the surface.

Preparation

Teaching points の抽出。

たんに新しいというだけなら,whether, impression, bathyscaphe, elevator, reply in the negative, control instruments, the view of the outside world enable one to know whether one is ascending or descending.

すでに最初のパラグラフ54語のうち,これだけ新しい要素がある。上に26語かきだした。半分の知らない要素がある。まさに暗号解読だ。古文書の一字おきに虫がくってるとか,右半分がやぶれてることを想像してごらんなさい。

マイケル・ウェストによれば,すらすらよめる教材であるためには,しらない単語の率は50語に1語ぐらいをこさない方がよいという。Gates というひとは30〜40語に1語ぐらいはしかたがないかもしれない。しかし佐藤博さんによれば,日本の教科書は11語に1語は新しいことばが出てくる。彼の研究によれば100語のうち8語以上しらない語があれば,ひじょうに抵抗がある(注1)。ワットモウ博士によれば3000語しってれば95%わかる,その派生語からわかるのをふくめれば97%までいく。しかし6000語しっていても98%までにしかならない(注2)。すると100語のうち2〜3語はしらない単語があらわれる率になるから,以上の説をひっくるめて速読用教材なら2〜3%の未知におさえるべきである。精読用は8%におさえるか?(注3) このバチスカーフのはなしでは,本文約514語に対して,下ランで発音をしめしてあるもの62語,約12%だ。しかし,この『ビーコン・リーダー』は,ましな方だとの判断で採用したので,事実,意識的にか無意識的にか,おなじレッスン内でのパターンのくりかえしはわりにある。

すでに,最初のパラグラフで whether のくりかえしが2回ある。それから enable one to know が,permits one to realize に変奏されて3番目のパラグラフに出てくる。これらはパターンとしてとりあげるべきだろう。

あたらしくても,bathyscaphe, elevator などはほっといていい。ひとこと,いいかえればすむものは ascending, descending. それから reply in the negative (affirmative) をやっとくとべんりかな? あと I have been asked とか motion is felt とか受身があるが,よわい子にも大丈夫かな? ファースト・インプレッションなどで impression はしっているかな? これらは,あちらの顔をみながらやればいい。

Review and Presentation and Oral Drill

あたらしい要素はつねに古い要素とのコントラストでおしえなければならない,というのは常識だ。Review をやっているうちに,しぜんに presentation of the new material にうつってしまうのがいい。ここでは whether の導入に典型的にみられるように,古いパターンではどうしてもいえないような situation に追いこんでいく。What, where, how, etc. で indirect questions はすでにならっている。だから “Yes, No” question をどう indirect にするか,というとこにおいつめていけばいい。

Teacher: Good morning, boys and girls.
Class: Good morning, Mr. Katagiri.
T: Did you have a nice weekend? Where did you go yesterday? Kazuko?
Kazuko: I went to a zoo.
T: Good. And where did you go, Akira?
Akira: …
T: Where did you go? (To the other students) Where did he go? Where did he go, Yasuko?
Yasuko: I don’t know.
T: You don’t know where he went. (To the other students) She doesn’t know where Akira went yesterday. (To Yasuko) You don’t know…
Yasuko: I don’t know where Akira went.
T: Class.
Class: I don’t know where Akira went.
T: When were you born? When were you born, Hazime? Now I am asking you when you were born. (To the other students) I am asking him when he was born. Sigeru?
Sigeru: You are asking him when he was born.
T: Class.
Class: You are asking him when he was born.
T: I was asking…
Class: You were asking him when he was born.
T: I asked him…
Class: You asked him when he was born.
T: Will you tell us when you were born, Hazime?
Hazime: Yes, I will tell you when I was born.
T: Tetuo, O.K.?
Tetuo: Yes, he will tell us when he was born.
T: Class.
C: He will tell us when he was born.
T: When were you born, Hazime?
H: I was born in 1947.
T: Yumiko, he told us…
Y: He told us when he was born.
T: When did you come to school this morning? Mitiko?
M: I came to school at 8:15.
T: How did you come to school? (To the other students) I am asking her how she came to school. Do you know how she came to school, Takasi?
T: I don’t know.
T: You don’t know how…
T: I don’t know how she came to school.
T: I asked Takasi how Mitiko came to school. Class.
C: You asked Takasi how Mitiko came to school.
T: (To Mitiko) How did you come to school this morning? (To the other students) I asked her…
C: You asked her how she came to school.
T: Did you come to school by bicycle? I asked her…
C: You asked her…
T: I asked her whether she came to school by bicycle. Did you come to school by train, Ikuko?
I: No.
T: I asked her whether she came to school by train. Ikuko, again?
I: You asked me whether I came to school by train.
T: Class.
C: You asked her whether she came to school by train.
T: How did you go to Hokkaido, Masayasu?
M: I went to Hokkaido, by train and by ship.
T: Hideko.
H: You asked him how he went to Hokkaido.
T: Did Mr. Masukawa go to America by ship? I am asking you, Noriaki.
N: You are asking me whether Mr. Masukawa went to America by ship.
T: Did you get up at five this morning? Harumi?
H: You are asking me whether I got up at five this morning.
T: Class.
C: You are asking her whether she got up at five this morning.
T: Did you go to Kyoto?
C: You are asking me whether I went to Kyoto.
T: Did you like Kyoto?
C: You are asking me whether I liked Kyoto.
T: Do you like English?
C: You are asking me whether I like English.
T: Do you have a girl friend, Hirosi?
H: …
T: Kyoko.
K: You are asking him whether he has a girl friend.
T: Class.
C: You are asking him whether he has a girl friend.
T: Hirosi-kun, what is her name?
H: …
T: Noriko.
N: You are asking him what her name is.
T: What is her name. Will he tell? Mitio?
M: No, he will not tell what her name is.
T: Are we going to have rain tomorrow? Humie?
H: I don’t know. I don’t know whether we are going to have rain tomorrow.
T: Class.
C: I don’t know whether we are going to have rain tomorrow.

ようするに,Wh-questions を indirect questions にする復習をしていて,そこへ,Yes-No Questions を入れれば whether をつかわざるをえなくなる。Whether をつかう例をいくつかしたら,つぎは Wh-questions と Yes-No questions をまぜあわせてやる。

にたようなやり方で “Can you swim?” のようなことを whether の練習のような顔をしてやりながら,canを be able to でいえるように warming up して,enable への橋わたしをする。紙面がかぎられているので,先生と生徒とのやりとりをいちいちかかないであらすじをのべると:

Can you swim? Yes, I can. I can swim.
Then you are able to swim.
She can swim. She is able to swim.
I can swim. You are able to swim.
I am able to swim. My father made me able to swim.
Who made you able to swim?
My teacher made me able to swim.
Your teacher made you able to swim.
Your teacher enabled you to swim.
The engines enable the airplane go up.
Telephone enables us to talk to friends far away.

おそらく,このばあい,enable = make (person) able というような verbal explanation をするよりは,あるていど準備運動をしたらズバリそのものをつかわすようにした方が,Direct Method の趣旨にそう(すなわち,心理的に結果がよい)のではないかとおもう。

Checking of Understanding

以上のドリルを黒板にバスチカーフの絵などかいて,そっちの方へはなしをうつしていく。

Is the impression in the bathyscaphe the same as in an elevator?
Do you feel motion in an elevator?
Do you feel motion in a bathyscaphe?
If you don’t feel the motion in a bathyscaphe, how do you know whether it is going up or going down?

ここでわかったことは “Often I have been asked whether the impression in the bathyscaphe is the same as in an elevator.” という文章は,whether がわかっても impression がどうもはっきりしないらしいとか。”I reply in the negative” は simple sentence であっても,メタ言語で,なんとなくむづかしいとか,”only the control instruments and the view of the outside world enable one to know whether one is ascending or descending” の斜体したように伏兵がある。とくにこまったことは,あたらしい文型の文章のなかに,さらに未知の content words なり,つかい方のむづかしい structure words をふくんでいることだ。むかしの文法の本は,例文が,リーダーの文章よりむづかしいことがあった。Consolidation については省略。

「教科書(そのもの)ヲ教えるのでなくて,教科書デ(つまり,教科書をきっかけ,てがかりとして)おしえる」とはいうものの,生徒の記憶のよりどころなるものが,虫食いのままのこることはこまる。といっても,こっちで,それをぜんぶつぶしていくことは,とてもできない。おなじ数だけおしえることがあるとしても,いまのような乱雑な順序と組合わせで出てくることはとてもこまる。

いままで whether ではなしをすすめてきたが,if でかきかえた方がよかったかもしれない。それから one のつかい方など,すでにマスターしてるべきはずだろうが,これらの新パターンといっしょに出るのは,ちょっとヘビーだ。

そういうところはどんどん書きかえたらいいとおもうのだが,すると natural ではなくなるとか心配するのだろう。パーマのしゃべった,いい suggestions, たとえば精読用正教科書と多読用副読本群の2本だて,ということは,指導要領的位置にある人たちからはすっかりわすれられているようだ。それでいて,日本の英語教育史はパーマの教授法をもっておわり,それが決定版であるかの印象をあたえている。そしてパーマからひきついだものは彼の完全主義「もし現代の英国人が十七世紀に引戻されたと仮定したならば,社交上の極めて簡単な会話をするのにさえ非常な困難と不体裁を感ずるであろう」(注4)──この完全主義が,日本人どうしに向けられて,英語教育者という識字階級をしめすエリート・バッジ的につかわれているのに気がつかないうちはパーマの教授法がひろく役立てられることはないであろう。

  • 注1:佐藤 博『Rapid Silent Reading の基礎的諸問題』高校英語教育, IV, 3(1963年8-9月)
  • 注2:Whatmough, Joshua, Language: a Modern Synthesis (New York: The New American Library, 1957), p.16
  • 注3:Virginia French Allen の古典的名著,People in Livingston (New York: Thomas Y. crowell Company, 1953) では,200語おしえるのに約15,000語ついやしており,新単語のあらわれる率は1.25%である。
    これよりはもうすこし意識的にコトバをつかいながら,つかい方をおしえていく English Through Pictures, Book 2 (1957 edition) でさえも,新単語が8%をこえるページはめずらしい。しかもこれには図解というたすけがあってのはなしである。
  • 注4:Palmer (『英会話の理論と実際』(開拓社, 1947))。これは H. C. Wyld 教授『近世口語英語史』を引用したものであるが,いたるところでこういういみのことをパーマはいっているようだ。会話をうまくなろうと,わたしはこの本をかったのだったが,これを読んで,うまくなることを断念した。しかし外国人が,なぜ十七世紀の本国人よりうまくしゃべれようか? Linguistics の誤用は,これとおなじ穴におちいる危険が多い。

東京都立杉並高等学校『紀要』No.4(1963年11月)