アレクサンダー・テクニークとの出会い

投稿日 2013年2月28日

 アレクサンダー・テクニークとは何ですか? いろいろな答えがあるでしょうが,わたしの好きないいかたは「心身の不必要な緊張に気づき,これをやめていくことを学習します。」他の言い方として「運動を自由自在にするための方法」もあり,音楽家,ダンサー,俳優などパフォーマンス系のひとに好まれる定義です。しかし私自身が筋肉人間でないことがあるのかもしれないが,動きの自由という目的に走るまえに,気づきのところで立ち止まりたい。

 いま「気づき」がすべてであるというような感じをもっています。むかしは気づくだけではつまらないと思っていました。しかし今では気づきさえすれば,それでだけで面白い,たのしいのです。むかし1960年代から70年代にかけて「気づき」ということばが広まりはじめた頃,たまたまサンフランシスコにいたとき,「ゲシュタルト・イーブニング」という催しがありました。そのころ「ゲシュタルト・セラピー」がすごくいいものであるということが知られはじめ,ぜひ受けたいと思っていたが,何回も受けなくてはならず,時間がかかるものと聞いていた。それが一晩で味見ができるらしいので出かけて見ると,大広間の床に大勢のひとが座り,目をつぶっていると,そのあいだを一人の白いころもを着たひとが鈴を振りながら「アウェアー,アウェアー,気づけー,気づけー」とさけびながら,歩きまわっていた。しかし,いったい何を,どのように気づけばよいのか???

 「センサリー・アウェアネス」ということばに出会ったのは1970年なかばであった。はじめて参加した「一般意味論」のセミナーワークショップで,なんとも名付けようのないグループワークがあった。「立つとはどういうことですか? 頭はどこにありますか? からだはどうバランスをとっていますか? 重心はどこにありますか? では歩いて見ましょう。動きはどこから始まりましたか? 目は何を見ていますか?」といったぐあいに,立ったり座ったり歩いたり,かんたんな動作をしながら,リーダーのシャーロット・リードという上品なおばあさんが,いろいろ質問しているだけなのに,終わると,なんともいえず,いい気持ちになっているので,参加者はみんなこの時間が好きだった。しかしなぜこのような「からだ」をうごかす時間が「意味論」のセミナーにあるのか,よくわからないままだった。しかし一方でわたしが一般意味論セミナーに参加した理由は,何かとぐろを巻いたものが道にあるのを見ても「ヘビだ!」と即断しないような遅延反応の訓練を受けたくて来たのではなかったか?

 そのグループについてのシャーロットの説明は「経験を経験することだ」とか,これもまたよくわからないものであった。彼女は自分の先生である,もうひとりのシャーロット,セルバー女史について尊敬をこめて語った。シャーロット・セルバーがナチの迫害をのがれてアメリカに渡ったころ,パーティであなたは何をしているのですかと聞かれて,うまくことばで説明できず顔が真っ赤になりながら,わたしのスタジオへ来て見てください,と言うよりほかはなかった。シャーロット・セルバーの夫,チャールズ・ブルックスの『センサリー・アウェアネス』という本が1974年に出て,だんだんに「センサリー・アウェアネス」という名前で定着するようになった(邦訳伊東博『センサリー・アウェアネス』誠信書房,1986年)。

 ことばで説明することの同様な困難は,F・M・アレクサンダー(Frederick Matthias Alexander, 1869-1955)が自分の発見を伝えようとしたときに起こった。ひとつには心身の微細な動きを述べるための言語が未発達であることもあるが,もうひとつは情報の受け手であるわたしたちが,どうしても「からだ」と「こころ」は別の物であるという前提で話を聞いてしまうからだ。アレクサンダーは,ジョン・デューイなど周囲の知識人たちの助言を受けながら,心/身をばらばらに受け取られないように苦労して本を書いた。その結果は,ずばりと単純明快に言えない歯切れの悪い,ややこしくて,特にアメリカ人からは敬遠されるような文章になった。

 私自身,心身は別物でなくて,ひとつのものだといわれて,なんだあたりまえじゃないか,とおもっていた。そして「遅延反応」の訓練を受ける志しをもって参加した一般意味論セミナーであった。すでに哲学者ホワイトヘッドの『シンボリズム』(1927)を読んで,感覚的認知も記号の解釈であるという説に感動していたはずであった。にもかかわらず,シャーロットのような一見からだからのアプローチが,意味論セミナーのなかにあることが位置づけできなかった。ということは,いかに心/身二元論がそれまで私のなかに深く根付いていたかを示すものであった。アレクサンダー自身が心身統一体であることを発見するまでは,自分でも試行錯誤がうまくいかなかった。今日多くのアレクサンダー・テクニークの教師が「これはボディ・ワーク」ではありませんといっている。          

 ではなぜ世間一般からボディのワークと思われているのか? 気づくことが良いことだとして,ただやみくもに気づけというのでなくて,ボディは手がかりになりやすい。感情や思考にくらべて,からだの動きはだれにでも識別しやすく,さしさわりがない,とフェルデンクライスは『動きをとおして気づく』に書いている(邦訳安井武『フェルデンクライス身体訓練法–からだからこころをひらく』大和書房,1982年)。

 センサリー・アウェアネスでは,チャールズ・ブルックスいうところの人間の四つの尊厳,立つ,歩く,座る,横たわる,といった単純な動きのなかで何が起こっているか気づき,あとで必ず話し合った。この話し合うことによって,たんなるボディ・ワークに終わらせなかったにちがいない。何年ものちになって,アレクサンダー・テクニークの教師養成トレーニングの終了証書をもらったときに「手とことばを使って,アレクサンダーの発見を伝えることができるようになったことを証明する」と書いてあった。手を使わなくては伝えられない情報があります,だけならボディ・ワークなのだろうが,わたしたちがやっていたのはボディ・マインド・ワークだったのだ。

 センサリー・アウェアネスのクラスは,はじまってみないと今日は何をやるのか,あらかじめわからない。カリキュラムみたいなものはないのですか,というような質問がときどき出るが,その時,その場に集まった心身統一体たちのなかからテーマが浮上してくる,というような答えだったろうか。これはリードする方はたいへんだろうな,よーっぽどえらくないとできないんじゃないか? またしても,初心者がひとりで気づくための手がかりはないか?

 ヴィパッサナ瞑想というのは,気づきの瞑想だと,だれかから聞いた。そして日本ヴィパッサナ協会の10日間の合宿に行った。そこではゴエンカ先生の方法で瞑想が行われていて,はじめに集中力をつけるために,鼻の穴とくちびるの三角地帯で呼吸の動きを感じることをした。それの次は,座って頭のてっぺんを気づき,それをだんだんに顔とか肩とか胴体,足に下げて行き,足まで行ったら,今度は下から上がって頭まで来る。これをくりかえすという,きわめてシステマティックでやりやすかった。もっと他のやり方もあるようだということを後になって知ったが,わたしはゴエンカ先生のやり方と出会って幸運だった。

 センサリー・アウェアネスのような良いことは多くのひとと分かち合いたいと思うのだが,どこから手をつけたらよいか手がかりがない。ところがアレクサンダー・テクニークは頭・首・胴体の関係にフォーカスすればよいのだった。わたしの最初のアレクサンダー教師,第3人目のシャーロット,コウ女史には1983年に出会った。彼女もサンフランシスコでセルバーとブルックスのセンサリー・アウェアネスのグループに出ていた。

 最初のレッスンでテーブルに横たわっていると,私の鎖骨のあたりに触りながら彼女が「ここははたらきすぎね。もうそんなにしなくてもいいのよ」というと私の鎖骨がそれを理解し,涙が出そうになった。「肩はらくにテーブルに落ちて来ます」といわれたので,ごそごそ肩を動かしてると,「何もしなくていいのです。ただそう思うだけでいいのです。」そうか,何もしなくてよいテクニークとは,こんならくちんな方法はない。「ひざはどこにあるか思ってください。」えーっ? そんなこと思ったこともない! でも,なんとなく,あの辺と思うと先生が「グッド!」という。そうか,これは思うことのレッスンなのだ! 整体の野口晴哉先生は,好いことを思うと,好いことが起こる,といった。そのためには訓練が必要だと,オルダス・ハクスリーはいった。不必要な干渉をしなければ,好いことは自然に起こると,アレクサンダーはいった。最初のレッスンで先生にまかせきりにしたあと,私はすごーく気持ちよかった。これは「心身」にとってよいことなのだと,私は決めた。

2008年2月『地球人』No.11より